まずはじめに、元日午後に発生した「令和6年能登半島地震」で被災された皆様に、心よりお見舞いを申し上げます。
そのような中でも、 第100回を迎えた "東京箱根間往復大学駅伝競走(通称「箱根駅伝」)" が令和6年1月2日(火)から同月3日(水)の2日間、 皆様お馴染みのコースであり、往路は、東京都千代田区大手町の読売新聞東京本社前をスタート地点、神奈川県足柄下郡箱根町芦ノ湖前をゴール地点、復路はその折り返しとして予定通り開催され、宮城県支部からは、4世帯11名の参加により、3日(水)の10区、法大の応援ポイントである中央区京橋のトラストタワー前で 応援・観戦 をいたしました。
我が法大体育会陸上競技部の選りすぐりの精鋭の学生の皆様が全員一丸となり、終始、粘りの走りを見せ、往路は9位でゴールし、目標の5位以内を目指し、復路一斉スタートで芦ノ湖をスタートいたしました。
6区の武田和馬選手が区間賞の力走で順位を5位まで押し上げ、さらには、地元東北高校出身の9区稲毛崇斗選手も、沿道の声援はもちろん、昨年8月に急逝された、同じ東北高校出身の後輩で寮も相部屋だった大切な存在だった高橋彰太さん(ご両親も副支部長としてご活躍いただく事になっていた)の想いも背負い、6位という高位置で最終10区の宗像直輝選手へ襷が渡されました。
私たち宮城県支部の11名は、京橋に正午集合という事前の申し合わせにより、各家庭現地集合となりましたが、第100回箱根駅伝法政応援コミュニティーや宮城県支部の役員のグループLINEに入る逐一の情報を気にしながら、京橋集合の頃には、既に気分が高揚し、さらには、後援会本部役員の皆様の周到で綿密なご準備にも敬服・感嘆しながら、地震により現地応援が困難となった支部の皆様の分まで応援しようと心に決め、宗像選手の到着を待ちました。
首位の青山学院大学が通過し、2位駒澤大学、3位城西大学、東洋大学、國學院大学と続き、いよいよ我らが宗像選手の登場となりました。
後援会本部役員の皆様から「宗像、頑張れ!」と声をかけるようお話しがありましたので、全員が大きな声で「宗像、頑張れ!」と応援した時には、目の前を颯爽と駆け抜ける宗像選手がおり、20㎞以上も全力で走ってきているのに、こんなにも早いのか、そして、苦しさの中にも 清々しい表情で走っている姿を目の当たりにし、涙ぐむ方、微笑む方、さまざまな表情が見て取れました。
私自身も、高校まで野球という競技に取り組み、甲子園という舞台を目指した約30年前を思い出し、必死に走り切る宗像選手はもちろん、各大学の選手の姿勢に、胸を突き動かされる想いとなり、初の箱根駅伝観戦、念願叶った想いも重なり、思わず、目からこぼれるものがありました。
まさに、今や正月の風物詩、箱根駅伝なしに正月を語れないとまで言わしめる意味を改めて感じた次第であります。
出場全大学の選手が通過し、解散前の総括では、「来年も絶対現地で応援だね!」「早く来年にならないかな!」という声が早くも聞かれました 。
最終順位は6位と、目標の5位にあと一歩及ばなかったものの、本当によく頑張っくれた法大選手の皆様はもちろん、他大学の選手の皆様からも勇気とパワーをもらい、令和6年もますます精力的に宮城県支部の活動を進めていく決意を新たにした次第であります 。
今後とも、宮城県支部へのご支援・ご協力をよろしくお 願いいたします。
(副支部長 太田 博昭 記)